東日本大震災から1年半。
東北関連のニュースを見聞きする機会は減ってはいますが、「3.11」以前とは違う日常は、まだ続いています。弊社のDVD制作に関わっていただいた先生方の中にも、被災され大変な思いをされた方々が多くいらっしゃいます。
これまでジャパンライムでは、様々なジャンルの映像を通して皆様のお力になってきたいという思いで映像制作を続けてまいりましたが、そこには単なる知識や技術だけでなく、今後の世代へ伝えるものを残していきたいという思いも強くあります。
この1年半、被災されながらも以前と変わらず、いえ、それ以上の力強さで前向きに歩んでいらっしゃる先生方のことを、「今」、伝えていきたい、知っていただきたい…。
そんな思いから、弊社と関わりのあるお二人の先生に特別寄稿をお願いし、震災当時、そして「今」を語っていただきました。

松本涼一先生 (福島県双葉町立双葉中学校、埼玉県加須市立騎西中学校 英語教諭)

中津川澄男先生 (東北高等学校ソフトテニス部監督)

特別寄稿

 

松本涼一先生

福島県双葉町立双葉中学校

埼玉県加須市立騎西中学校

松本 涼一(まつもと りょういち)
福島県出身。英語教諭。教員1年目に恩師の薦めで参加した「英語教育達人セミナー」で研修に目覚め、以来、多くの研修に参加し、今では発表者になることも。 福島県の双葉町中学校で教鞭をとっていたが、3.11の震災で被災。70名の生徒(現在は約50名)とともに、埼玉県加須市立騎西中学校に集団移転中。

早いもので、あの大地震から1年数ヶ月が過ぎました。原発事故の影響で、家族とともに避難を繰り返し、仕事の環境も変わり、さてこれからどうしよう、と途方に暮れていた私に、昨年5月、ジャパンライム様から震災復興祈念DVD作成のお声がかかったことは、自分が英語教師だという思いを取り戻す、素晴らしい機会となりました。この場を借りて、まずお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 さて、震災当時、私は福島第一原発から数キロしか離れていない、双葉中学校に勤務していました。現在は、双葉町が役場機能を埼玉県加須市に移転するにともなって避難してきた生徒たちが通う、加須市立騎西中学校に勤務しております。
 震災による移転にあたっては、騎西中学校の先生方に大変お世話になりました。ただでさえ忙しい新年度への準備の時期に、70名という規模での生徒の転入です。入学式までに制服や机、学用品などを大急ぎで準備しながら、全学年でクラス編成のやり直し。避難する私たちも大変な時期でしたが、これだけの大規模な転入学を受け入れて下さった加須市教育委員会の方々や騎西中学校の先生方には本当に感謝しています。

 震災に遭い、新しい学校で勤務するようになり、私が常に頭に置いている言葉は、「いま、ここ」です。
 騎西中学校の先生方は、本業も忙しい中、被災した子供たちの心のケアなどをどうすれば良いか、親身になって考えてくれました。そんな担任の先生方の仕事にかける思いや、生徒に対する優しさに触れ、私は彼らからプロ意識を学びました。いま自分が置かれている環境で、できることを精いっぱいする。それが「いま、ここ」です。

 もしもあのような天災や原発事故がなければ、今でも福島で家族とともに暮らし、双葉中の生徒と楽しく学校生活を送っていたかもしれません。
 しかし、震災を経験し、様々な出会いに恵まれましたことは事実です。震災がなければ、騎西中学校の生徒や同僚の先生方に会うことはありませんでした。平日の避難所での単身赴任生活も、なかなかできない経験です。
 多くの方々の心からの支援に感謝しつつ、「いま、ここ」で自分ができることに前向きに取り組んでいきたいです。

中津川澄男先生

東北高等学校

中津川 澄男(なかつがわ すみお)
1967年宮城県出身。日本体育大学卒業。
東北高等学校ソフトテニス部監督。全国有数の実力校である東北高校ソフトテニス部は2012年インターハイにおいても、男子団体で2年連続3度目の優勝を果たした。

『東日本大震災を経て』
3月11日(金)震災当日、私は全日本アンダーの合宿で三重県の四日市ドームにいました。そこでも強く長い揺れを感じ、ドーム自体が海沿いにあったため避難するように指示されました。初めは状況がよくわかりませんでしたが、夕方テレビを見てはじめて事の重大さに気づき慌てて家族や東北方面の知人に連絡を取りました。しかし、当然のことながら誰にも連絡はつきませんでした。
翌日の朝、大宮まで電車で行き、そこでレンタカーを借りて仙台まで新潟周りで帰りました。(東北自動車道は当然不通でした。)連盟の方からは、東北地方の人は様子を見てから帰ったほうが良いのではないかという意見をいただきましたが、選手はもちろんのこと、私自身も家族と一切連絡が取れなかったこともあり、焦燥と不安の中、一路東北へ向かいました。選手を送って結局到着したのが深夜になりましたが、家族の無事を確認することができました。寒い中、ストーブもエアコンも使えないので身を寄せ合って寝ていました。
東北高校ソフトテニス部では、男子には沿岸部の出身者がいなかったので幸いにも被災者はでませんでしたが、女子の1名が、本人は無事であったものの、家が流され親戚宅に身を寄せていたという状況でした。しかし、その後の生活が大変でした。電気・水道・ガス、すべてのライフラインは止まったままで、今後の復旧の見通しも立ちませんでした。ガソリンがないことの大変さも思い知らされました。寮生は向かいの中学校でパンを配ったり、水を汲んだりしてボランティアをしていました。寮生の食事は学校の食堂の残りを分け合っていましたが、それも底をついたため寮を閉鎖せざるをえなくなりました。そこでソフトテニス部では選抜大会の出場が決まっていたので、三重高校さんに合宿所での生活と、練習参加をお願いしたところ快諾していただきました。
結局、3月末に行われる予定だった選抜大会は中止になりましたが、夏の北東北インターハイでは団体、個人とも優勝することができました。練習時間に制限があったりしたなかで、選手たちは本当によく頑張りました。また、生活困難な中、三重高校さんでの練習参加も大きく影響していたと思います。
その後、2012全国選抜大会で準優勝、2012北信越インターハイ団体では優勝をすることができました。震災を経験し、先輩方と一緒に多くの困難を乗り越えてきた今年の3年生は、実力的には昨年より劣ると思っていましたが、徐々に力をつけていきました。劣るからこそ追いつくために、一つ一つの練習に目的意識をもって集中し、素直で、前向きな取り組みが好結果に結び付いたのだと思います。普通に生活出来ることの幸せを理解し、私たちが今頑張れることは何かを考え、それにむけて一生懸命取り組むことが大切なのだと痛感しています。